歌い手とニーズ

歌い手とは、何なんだろう。

幾度となく心に投げかけて来た疑問。

 

そして歌を生業とするということとは、

そのために必要なこととは、

一体何なんだろう。

 

多分その答えに万能の方程式はなくて、

歌い人としての人生が差し出す

いくつかのヒントの調合、そしてタイミングとバランス。

 

一つだけ言えるのは、最後の最後はやっぱり

ただの物売りでは通用しない道、ということ。

但し、大前提として商業音楽にたずさわるなら、

ビジネスであることを忘れてはいけない。

 

同じ歌い手と言っても、フィールドは種々様々。

歌=ボイトレ、リズムやピッチなどの技術の向上、

みたいに想像する人は多いけれど、それらはあくまで基礎であり、

より良い歌を歌えるようにするための一要素に過ぎない。

30年歌ってきて、改めてそう思うのです。

 

目指すボーカルジャンルが何なのかによって、

重要視すべきものや配分も異なります。

 

以前アイドルの歌唱指導をしたこともあるけれど、

私はこの手のコンテンツについては、いわゆる”本格的”歌唱は

今の時代、必要ないと思っていて(もちろんそれ以上あったに越したことはない。

但し、それは本人の志向と個人的な努力でまかなえばいい領域)、

発声や技術は最低限の合格点でいいし、最優先でなくてもいい主義。

これについては人によって意見は様々でしょうけれど、

あくまで売れるモノをつくるための概念として私が思うことであり、

他者と論争するつもりはありません。

 

アーティストならより高い技術力はあったほうがいいでしょう。

でもなくても成立するパターンはある。それは才能ととりまき次第。

アイドルを代表とする「KAWAIIカルチャー」はあくまで「カワイイ」ことが

第一義なのであり、それを裏支えするための表現力は必要かつ重要。

これが実は今のアイドルさんたちの全員とは言わないけれど、

大半に欠落あるいは不足してるのでは?と個人的には感じています。

ただ、多分それが今の業界的スタンダードなんですね。

良いか悪いかは別として。

 

だから、「昔は良かった」論に傾倒するつもりはないです。

時代は移ろいゆくものであり、文学作品だってその捉え方は時間とともに

人々の心のフィルターを通じて、作者の意図したそれとは形を変えていく場合もある。

何かに対して常に唯一の解釈が存在するわけではなく、私自身だって

20年前、10年前、現時点、あるいは10年後にはまた変わることもあると思います。

でも、今ここにある(その当時あった)実体だけは誰にも否定できない。

 

昨日、長時間の音楽番組でイルカさんの『なごり雪』を聴きました。

その他にもアイドルとして一世風靡した何人かの先輩方も出演されてました。

数日前には別の番組で天童よしみさんがアイドルと一緒にカバー曲を歌っておられて、

その時、事前VTRで流れていたのは人気絶頂期の山口百恵さんの生歌唱。

 

それぞれ同じ歌い手でも立場の違う方々だけれど、

それぞれの歌やパフォーマンスに「その人が演じる」確固たる意味のようなものが

存在しているような気がしました。

思わず思った、

 

「歌はやっぱりこうあるべき・・・」

 

これだけ多くの情報にあふれた時代だからこそなんだろうか。

それを指導できない、作り上げられない制作・運営サイドの責任でもある。

 

私が昔所属していた事務所は弱小音楽プロダクションだったけど、

本物志向が基本方針だったことで、時代に関わらず一流と呼ばれる創作に

触れる機会をたくさん与えてもらえたと思ってます。

色々あったけど、それだけは本当に感謝してます。 

当時、歌唱指導して頂いた先輩も、さぞかし歯がゆい思いされたのかな。

その頃にはさっぱり理解できなかったことも今なら分かる。

その上であの頃の自分に対して思うことも色々あります。

 

人生に責任とる決断も選択も、

できるのは世界でただ一人、自分だけ。

 

自分がどんな歌い手になりたいのか

それが自分に本当に向いてるフィールドなのか

今いる場所は自分が叶えたいことを本当に実現できる環境なのか

 

ドロップアウトすると決めるまでは、

つねに客観的にこれを自分の内側と向き合い、問いかけ続けること。

 

長いこと関わって来た世界だけど、

つくづく特殊な世界、特殊な商売であることを思い知らされます。

 

歌い手の道に

万能の方程式なんて、存在しない。