Identity

以前、人格分析というのをやったことがある。

たくさん質問事項があって直感的に回答を選択していき、

合計数で4つほどのタイプに分類されるという感じのもの。

でもその時私は自分で選択せず、私をよく知ってる仲間に

私ならどうしそうかを想像してすべて選択してもらった。

 

その結果、なんとすべてがほぼ同一で平均範囲に

きれいに収まるという、稀な結果が出た。

 

とても興味深いと思った。

本来、人にはそれぞれ趣向や性格的傾向があるはずで、

私はもともと極端にその要素は強いタイプだったから。

 

逆に言えば、長い時間の中で自己補正していき、少なくとも表面上は

印象も含む私の人格の一部として定着しているということか、と。

ちなみに、こういう全体に均一な人は珍しいんだそうだ。

ある意味人間らしくないとも言えるのかもしれない。

 

あまり気にしていなかったけれど、

今の私の中には概ね対局に位置する”ある種の人格”が

共存しているように感じる。

どちらも私であって、どちらも必要なもの。

どちらかだけでは生きていけないバランスで成立してる感覚。

それがそのまま分析結果に出てるように思った。

 

アイデンティティーとは、主に自己同一性と訳される。

自己補正することで形成されていった「もう一つの人格」が

現在の私の大部分を支えているけど、それが自分自身の本来の姿か

というと、そうではない。

どこかでこの状態を無視して生きている自分が常にいて、

それがいつの間にか当たり前のことになった。

何なら後から形成された「もう一つの人格」が私自身だと

思ってさえいたくらいの時期も長い。

 

今でも特に苦痛はないけれど、違和感がないかと言われると

素直にうんとは言えない。

なぜなら私を支えてきた「もう一人の私」は、本来の私を

守るために必要にせまられある意味、私自身が意図的に

造り出したものだから。

例えるなら全く好みじゃなかった服を纏っている感じ。

 

それも一つの自己同一性と呼べるなら、

きっとこれが今の私のアイデンティティーなんだろう。