声とエイジングに関する考察

加齢による声質の変化について最近少し考えている。

人間誰しも歳はとるし、当然それに伴って徐々に声質も変化していく。

 

たとえば私のように年がら年中、何らかの形で歌っているとか声の仕事をしている人は全体の中では稀なので、多くの人々は声帯や発声関連器官を意識的に鍛えることなく加齢が進んで行くことになる。

 

一方で、声帯の筋肉というのは人間の体を構成する筋組織の中でもっとも最後まで成長する筋肉とも言われている。

 

よって前出の状況を踏まえると、たとえば高齢者であってもトレーニングすれば案外成果を得やすい部位であることが推測できるとも思う。

 

昔からこの事案については認識もしていたし、自身も歳月とともに意識が徐々に強まってはきていたが、最近になって急激に考えるようになったきっかけは、女優・今井美樹さんの最新の歌をふと耳にしたのがきっかけ。

 

厳密に言うと、今回気になったのは声質の変化よりもビブラートの変化。

 

もう少し具体的にいうと、雑多な生活音がひしめく環境下で流れてきた歌を何となく耳にしただけでもハッキリと認識できるほどの変化。

 

私の脳内で見えた画は喉のかなり奥のほう、両鎖骨の間の凹みにほぼ近いくらいの位置で細い軸の中心に大きな圧をかけながらちりめんほどではない細かめの振動を起こし、かつ声は語尾に向かって極端に抜きながら歌う、という分解するとけっこう複雑な歌い方をしている。

 

これをいうと今井さんは嫌がるかもしれないけど、ママさんコーラスで歌っている年配の女性に多く見られるようなタイプのビブラート(とくに語尾)。

 

もちろん声質はいくらか加齢による変化が見受けられるけれど、それは当たり前のことなので仕方がないと思う。

 

今回この件に改めて関心をもったことで、こんな興味深い記事にたどり着くことができた。

 

なんと、加齢による声質の変化は、性別によってその傾向が違う、というもの。

 

てっきり加齢とともに高音が退化または消耗し、声が低化していくものと思い込んでいたけれど、実際にはそれは女性の傾向で、男性はその逆、むしろ高化するというのだ。

 

たしか言われてみれば、ベテランの男性歌手の方が若い頃と比べて声が細くなっていると無意識に感じる事例は多い。

 

医学的にはこの現象を「声が高くなった」と位置づけるのかもしれないけれど、実際の印象では細くなって重心のしっかり利いた声が出しづらくなった、ような印象を受けるというのが正しいように思う。

 

ただ認識していなかった事実なので、今回初めてこの法則を知って一つまた勉強になった。

 

そうすると、とくに年配者へのレッスンを今後もし引き受けることがあった場合に、男女でやり方の前提を変える必要があるということでもある(今のところ、そんな予定はないけど。笑)

 

話を本題に戻そう。

 

エイジングによる自然な声質の変化がビブラートの変化とどうつながるのか・・・?

 

結論、【補整意識の発動】だろうと思う。

 

ではどうしてそんな意識が生まれるのか、想像してみると、歌い手自身が今現在の声や発声フィジカルの状態を受け容れられておらず、意識だけが20〜30代前半くらいまでの自身の「黄金期」のままだからだろうと察する。

 

当然そこを目指してまた同じように歌いたいとトレーニングしてみるけれど、実際には何十年も経過しておりその間必要なトレーニングはほぼされていない状態だとすると、かなり時間も要するし、現実に今の年齢になっているわけなので完全に元通りになるはずはない。

 

世間的に無名な私自身もフィジカル的なゴールデンエイジは実際にあったとたしかに思うし、私自身はその当時の声も感情も歌もすべて過去の宝物でしかないと思っているので、今は今の声で最大限出し切ることしか通常考えない。

 

以前のような声で歌えない、という状態・状況が

 

「何かで埋め合わせなければ・・・」

 

という潜在意識を動かし、結果、一番出やすいのがビブラートとか溜めとか、そういった技術に現象として表れているのではないかと思い至った。

 

幸か不幸か過去に大きく売れてしまった人ほど、今はなき「昔の自分の歌(声)」をリスナーの記憶の中で追い求められてしまう。

 

嬉しいような悲しいような”歌い手ジレンマ”ともいえるだろうか。

 

加えて、声質に透明度の高い傾向の人ほどこのジレンマは大きくなるだろうと想像する。

 

つい数日前には某テレビ局の音楽特番で歌手の華原朋美さんが昔の作品を披露されていたが、ビブラートについてはまたタイプが異なるものの、小規模ながら今井美樹さんと同じ現象が見受けられた。

 

そんな経緯でこの事案についてここしばらく脳内検証していたのだが、今回のケースを通してもやはり私の持論である

 

『声と向き合うこと=今日、いまの自分を知り、受け容れること』

 

ということをまた一つ裏付ける材料となったのではないか、と感じている。

 

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はぐれた雲が空をゆるやかに流れる

私はいつの間にかここにたどり着いた

余計なものは全部 捨ててしまおう

ありのままの自分を受けとめるために

 

心の地球を裸足で歩こう

大地がざわめく   生命(いのち)を震わせて

 

生きていく意味を知ることの繰り返し

そんな 長く  切ない"自分探し"の途中

 

(楽曲”Acceptance” by iidasatomi 一部抜粋)

 

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