人を緊張させる歌

歌には大きく分けて二つのタイプがあると思っている。

 

一つは、

「人の緊張を解く歌」

 

そしてもう一つは、

「人を緊張させる歌」

 

どちらのほうが良いとか正しいとかを議論するのは愚問だろう。

 

聴き手にとって心地好いほうが正しいと思えばいいと個人的には思っている。

 

プロとしてやっていきたい誰か一人の歌い手を見る時、いつも必ず目安として想像するのは

 

”この人の歌を聴いて3曲以上耐えられるだろうか”

 

ということ。

 

デビュー前の、とくに創作作業を行わない歌唱者にありがちなのは、

 

1曲だけなら耐えられる、というパターン。

 

もちろんその歌唱者の声質に惚れてしまうリスナーというのは必ずいて、

その人たちにとっては何を何曲歌おうが関係ない、という場合はある。

 

ただ、それは全体の中では相当少数だと思っておくほうがいい。

 

つまり、そこをただアテにしているうちは、長く広くプロとして活動を続けていくのは難しいということ。

 

例えば小田和正さんや徳永英明さんなど、もはやそれ自体が才能といえるような声質をお持ちの歌い手さんはいる。

 

そして彼らは二つのタイプでいえば、私は前者、つまり「人の緊張を解く歌」だと思っている。

 

人間の体は基本、ストレスを遮断したり強制削除するようにできている。

 

少しのストレスは時として前向きな手助けなることもあるが、一定の条件を超えたらそれは人体にとって有害なものとして排除しようとする。

 

記憶や感情も同じで、

悲しみや辛さというのはストレスであり、その人の耐性基準を超えた場合には忘れるという強硬手段が自動的に発動するようになっている。

 

要するに歌にもそういう要素があるだろうというのが私の仮説的見解。

 

プロとして歌を生業にするということは毎回どこへ行っても1曲、せいぜい2曲だけを歌うわけではなく、何十年という長い期間、コンサートをやれば2時間以上も歌うわけで、

 

それを果たしてどれだけの人に受け容れ続けてもらえるのか・・・?

 

そこが歌を仕事にしていけるかどうかの大きな分かれ道の要因の一つだと

実は思っていたりする。少なくとも現在は。

 

当然ながら、1曲を歌った時のインパクトはないと始まらない。

 

人が思わず耳を傾けたくなる声、歌い方というのは大きな最初のきっかけになるわけで、それがない人は技術か見た目で補うことになる。

 

「人を緊張させる歌」

 

このタイプは自分のために歌っている歌唱者に多く散見される。

 

そもそもが何らかの理由や事情あってそうなっているのだろうと自身の経験も踏まえて想像するが、このタイプの場合、いつか自分も他人もそれがしんどくなる時が来てしまう。

 

そうなった時、一番悲劇だと思うのは、歌唱者にとって歌が敵になってしまうということ。

 

だから私はその歌唱者が

 

○歌をプロとして長く仕事にしていくつもりなのか

○単純に趣味もしくはごく一時的な仕事としてとりあえずやるつもりなのか

 

それによって色々な選択肢が真逆にも変わると思っている。

 

本来、事務所やメーカーがついているなら歌唱者本人がそこまで配慮して歌に向き合う必要はないのかもしれない。

 

ただその結果がどんな状況に陥っても

最終的に自分の人生に舵を切れるのは自分自身だということを覚えていてほしい。

 

玄人評価が高く、本物だと言われてきた歌唱者が必ずしも長く歌でしっかり生活できているわけではない。

 

むしろそれが実現できている人のほうが圧倒的に少ないという現実を予めしっかり心しておくほうがいいと思う。

 

誤解されたくないので一つだけ追加しておくけれど、

 

時によって「人を緊張させる歌」も歌えるのだとしたら、それはものすごく大きな武器になる。

 

なぜなら、「人の緊張を解く歌」を歌うタイプの歌唱者は逆に「人を緊張させる歌」がそうそう簡単に体現できない傾向が高いと思っているから。

 

事あるごと語っているけれど、

 

”やれるけどやらない”

 

のと

 

”やれない”

 

のは根本的に別モノということ。

 

「人の緊張を解く歌」と「人を緊張させる歌」

 

これを最初から意識したり

自分がどちらなのか認識して歌っている歌唱者のほうが少ないと思うが、

趣味として歌い続けていくつもりがないならまずは今日から意識するべきだと思う。